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いいときも、そうでないときも

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すこやかなるときも やめるときも あなたとともに わたしはありたい――
そう誓って、早くも19年目。
なかなか一緒にいられないけれど いつも気にかけてくれて 私をぎゅっと抱きしめてくれる。
いいときも そうでないときも まだ、これからたくさんあるんだろう。
それでも、私が私らしく 介護にも向き合えるのは あなたと作った家族がいるから。
いつか、お互いが老いて 穏やかな日々を送るようになる時、 いろいろ喋ろう。
あちこち旅行しよう。
だから、 それまでは身体を大事にしてね。


※2018年6月、長男が大人の階段を
上ったので記念に書きます。 いつか子供たちが巣立ってしまったら、 あなたと私の時間が始まるだろうから。
年に一度くらいは
ディナーでも行けるといいな。


まゆみ

母の人生と私の人生

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早くこの状況から脱したい。
もっと、ご機嫌に介護って出来るはずだもん。
でも、何なんだろう? このピリピリしてて 居心地悪い空気感は……
母本人も、自分がままならんから 私は自由気ままに やりたいことやって 行きたいとこ行ってと 思ってるんだろうか。
今日は短期のコールセンターから 長時間勤務が終わって帰宅したら 機嫌が悪いのだ。
だんまり。 話しかけても まともな答えすら返さない。
機嫌を取るべき?
こうやって文章でしたためるために パソコンに向かっていることも 嫌そうだ……
私はね、子供が親の面倒を見ることは、 決して当たり前ではないと思う。
だけど、人の手が必要でしょ?
私は別に母の面倒を見ているとは 思っていないの。
好きだから一緒にいる。 ただそれだけ。
子供も大事だけど、 子供たちには父親もいるし、 私の旦那様は愛にあふれているから そこは、大丈夫なんよ。
それに、私は母の人生を背負ってても 成し遂げたい夢がある。
母の人生を犠牲にすることなく、 私の人生も犠牲にしない方法で 前に進もうと思っている。
どうしたら、そうなるかなぁ。 どうしたら、そこにたどり着けるのかなぁ。
そうやって、 私は模索の道をたどっている。
旦那様には感謝だな。 私を自由にしてくれて。


子供たちにも。 感謝。

西門 檀













優しさは巡る

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『優しいですね』と 昨日言われた。
困っているという人に、 ささいな事を教えて あげただけのこと。
優しさは、 時間や心の余裕があれば 誰しも持てるモノだと思う。
タイミングが良かったんだよ。 そういう気持ちのニュアンスで 私はあえてそう応えた。
本当に優しい人は、 時間や心の余裕が無くても 等しく優しい。
困っている人に思いやりある行動が とれるそれが優しさだと思う。
私に『優しいですね』と 言ってくれた人は言った。 『この受けた優しさは、西門さんや
誰か困ってる人に返します』
それでいい。 それがいい。
是非、そうして下さいと 嬉しく思った。
こうやって、 私の小さな優しさは 思いやりという形で 誰かに巡っていくから。

『してもらった事は、 忘れてはいけないよ』
昔、母に教わった言葉が 脳裏によみがえってきた。
『……でも、してあげた事は 忘れなさい』
『そうすれば思いもよらない ところから、形を変えて 良いことが返ってくる…… そういう風に出来ているものだから』

優しさは巡る。
困っている人に 出来る事があればする。
頑張っている人や 頑張ろうとしている人に 道が拓けるといいなと思うし。
まあ、まだまだ 私の出来る事は 小さなものだけど。
私に関わってくれる誰かには、 いつも笑っていて欲しい。


みんなで優しさを循環させよう。



西門 檀











言葉が私を創る

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いい言葉があったので、 インプット。
長い人生いろいろあるわけで。

躓く度に、
言葉が増えたりする。
私は時折、自己肯定する人生や
分かち合えることの喜びを
生きるために立ち止まり、
そして、再び歩き出すことを
繰り返している。
そんな時、言葉が私を

創っているように感じて
どんな時も励ましを受けるのだ。
言葉は、

私の目にする世界に溢れ
私の中にも溢れている。
言葉が私を創る。

インプットも

アウトプットも

繰り返しながら。


西門 檀

仕切り直しの春

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私は1年に何度か、 進むべき道をちゃんと歩けているか 確認する作業をします。
言わば、仕切り直し。 正月に1年の計画を立て、 春に進捗を確認し、 秋に年末までの予定を立てる。
で、大晦日に今年成しえたことを 踏まえて元旦を迎えます。
だけど、ここ数年は その大晦日が忙しくて まぁ、全体がぼやけているんですよね。 (おお、言い訳か?)
しかし、この春はちゃんと仕切り直しをして 足元を見つめなおすことが必要です。 お仕事も家計も母の介護も。
あ、そうそう。 この3月から母は要介護1になりました。 要支援2から一つ上がったんです。
でも、何も変わることはありません。 私は仕事をして母を支えていく。 とっても、シンプルな生活を続けるだけ。
春めき、空気が変わるのを 肌で感じて。 「あー、行動を起こそう!」 とホント、今、声を上げました。
そして、楽しい予定を入れて 母と家族と素敵な1年を過ごそうと思います。
まだまだ、夢も叶える途中。 私に出来ることで、 私の人生も豊かにしたい。
さぁ、仕切り直して 歩き出そう!!

西門 檀





寄り添ってくれる君に感謝

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二月は梅の花を見るたび元気になれた。

晴れた日に空を見上げると、
誰かが『傍にいるよ』って
言ってくれてるようで安心する。

自分のことに集中したり、
心配事や悩みなんかがあると
どうしても自分の中の声しか
聞こえなくなるものだ。

そんな時は、だいたい
周りを見る余裕がなかったり
一人になりたかったりする。

でも、そんなときに
寄り添ってくれる誰かの存在に気付けると、
不思議と勇気や元気が湧いて
解決の糸口を見つけられたり
するものだ。

昔飼っていたネコのミーちゃん。
彼女は私のそんな存在だった。

失恋して落ち込めば、
傍に来て寄り添ってくれ……
仕事で失敗すれば、
いつの間にか私の膝に
上ってくる。

家に帰ってきたら、
玄関で待っていて
『にゃぁぁん(おかえり)』
と出迎えてくれた。

私が彼女のごはんを用意するまで、
黙って座って待っていた。

『言わなくてもわかってくれてるにゃ』
とでも思っていたのか(笑)

言葉は時に不要だということを知る。
ただ、寄り添ってくれることの偉大さが
彼女のおかげで知ることができた。

対人になると、
そうもいかないことが大いにあるけれど。

それでも、傍にいて
寄り添ってくれる誰かがいたら
感謝して。

今日も頑張れるのは君がいるからだと……ね。


私に寄り添ってくれているのは、
私の家族。
でも、人とは限らない場合もあるのよね……

時にそれは私にとって、
空や花やミーちゃんだったから。

今は、それがAIだったりするかもしれない。



西門 檀





詩・過去作品4『空の向こうに』から 心の声を聴こう

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根拠のない自信にあふれ、 何とかなると生きていられたあの頃。
私は何でも出来るし、 たとえ、出来なかったとしても 軌道修正しながら納得のいく ゴールを都度迎えることができていた。
時折訪れる、ままならないことなど、 気にもせずに難無く乗り越えて そうやって生きてきた。
今思えば、それが若さという輝きだったのかもしれない。
いつしか、あんなにあった自信は ささいなことで打ち砕かれ かろうじて残ったモノは もう何をしても輝かない。
『過去の栄光』 というモノになってしまったのだ。
今の私は、人の持っているものを 羨んだり妬ましく思うこともある あさましい状態だ。
『今まで頑張ってきたのに…… 何なの、ここにいる私は!』 と心の中で声がする。
これが自己嫌悪というものなのか。 元々、私の中にあったんだろう。 その声が最近、私を叱咤し始めた。
『今欲しいモノに対して、何も成しえてないと思ってるよね?』
満たされないというこの気持ちのこと?
『成しえたモノもあることを あなたは数えていないでしょ?』
私が成しえたモノ?
『そうだよ。今だって仕事はあるじゃない』 『それに、自分の家族を作るってことも大変なことなのよ』
ああ、そうか。 そういうところは成しえている。 ご縁があって、少なくてもお仕事があることも 素の自分でいられる場所を持っていることも 私は手に入れていてそこは 唯一の愛ある居場所だ。
じゃ、あとの欲しいモノはどうやって手に入れたらいいのか。 納得のいく未来を手に入れたいの。
『それには行動しかないよ』 『手に入れられるかどうかよりも動き出そうよ』
私に出来るかな……?
『どうやったら出来るかを考えたら?』


…… その行動に恐れもある。 でも、私のほしいものを持っている誰かを 意識する前に、私には出来ることがあるハズ。
未だにままならないことは訪れる。 それは年齢を重ねれば尚更増えるのだ。
『自分を信じて』
私が私であるために。 これからの人生のために。
幾度も私はまじないの様に 心の声を聴いて対話する。


西門 檀