足りない何か


 エッセイ開始の最初のページタイトルがいきなり『足りない何か』というのも
何だなぁ……とは思うけどこれが私の中にある事実なのでこのタイトルから始めます。

どうも西門檀です。
初のエッセイなのでよくわからないまま書いていますが
お付き合いのほどを、宜しくお願いいたします。


私は物心ついたころから、この何か足りないという感じを抱えて生きています。

常に不安があって満たされない。
本当はまあるい形なのに、少し凹んでいて完ぺきではない気がする。
そんな未完成な気分を抱えて生きている、ずっと不思議な感覚なんです。

足りない分は補ってきたんですが、補ってもまた凹みは出来てしまい
全然埋められることありません。
それでもここ最近は大きな不安に襲われることもなく何とか乗り切っています。

何とか乗り切っている要因には家族の存在があったり、
好きなことを仕事にしているという現状もあるのかもしれません。
いつまでたっても、いくつになってもまだまだダメダメな自分と向き合うのは
容易ではありませんけど、それが自分なんだと思う事にしています。

何年くらい前でしょうか、そんな私のことを見透かした人がいました。
その人は大きな事業を成し遂げていて自信に満ちた人でした。
とっても憧れましたね。
その人は私の手を取ってこう言ったんですよ。

『自分を認めて、自分を許していいんですよ』って。

その素敵な人が言うには『自分を愛してあげて欲しい』ということでした。
まだまだダメダメと自分を否定して生きるのは良くないよって
いう事だったんだと思います。

愛されて育ったと思うんですよ、私。
でも自分を愛することに戸惑いがあるのかな。
思い当たることがあるのでそれが原因だと思います。
(原因についてはまた別の機会に……)

私は人を愛せることが出来る人間なのは自分でも分かっているので
そこは問題がないと思います。
でも、私は愛されている自信がないままここまで来たんだと最近
分かりました。

それが『足りない何か』だということも分かったんですよね。
足りないのは自分であることへの自信のようなものだと。


いつからかな、
「あー、この人の言う事は社交辞令なんだろうな」とか
「そんなこと本気で言っていないんだろうな」とか誰かと居ても
一歩踏み込めないでいる私がそこにいて愛想笑いで乗り切って居ることが
多くなっていたんです。

上手くやっているようでも人との距離感がよく分からないのが、
正直なところです。

自分に自信がない、贅沢な話ですよね。
私は私でいいのに。

18年前に結婚して無条件に愛してくれる家族がいます。
それだけでも「私ってスゴイねー!」と言えることなのに。
凹んだ部分がある私でもいいんだと思える方法を今模索しています。


自分を愛する時間が減ると、凹みも大きくなる気がするし(笑)

自分の時間が減ると荒むんですよ、私。
気分転換も大事という事ですね。

足りないものにフォーカスする人生は止めて、
持っているものに感謝して歩いていきたいと思う今日この頃。
まだまだ私は変わり続けるハズだから。

「足りなくったっていいんです。それが私なんだもん」
と思えるようになりたいです。





2017/7/10


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